鬱を食らわば

元うつ病不登校児、アラサーでうつ病再発しました。

怒れる人々

どうも、うつ病絶賛再発中のkuraです。

 

一昔前は、キレる子供が話題になり

最近では、キレる高齢者が何かと話題になる。

 

そして、その怒りを怒りで制圧しようとする人々。

何でもかんでも怒りで片付けようとする人々。

魔を持って魔を制す、の成功例を私は知らない。

それで1回でも誰かが幸せになったことがある?

 

負の感情は恥ずかしいものではない。

全てを抑え込むべきとも思わない。

 

 

だけど、負の感情を全て怒りで

表現する人ってどうなの?

 

 

悲しい・悔しい・もどかしい・怖い・気まずい・

面倒くさい・恥ずかしい・淋しい・苦しい・残念

 

これら全てを「ムカつく」という一言で片づけ、

深く考えず、怒りに変えて周囲にまき散らし

当たり散らしてしまうのは簡単だし、楽だろう。

慣れてしまえば快感でさえあるのかもしれない…

 

取り合えず怒りをアピールしておけば、

周りを委縮させて思うように操作したり

顔色を窺わせて機嫌を取らせることだって

相手を選んで行えばできるかもしれない。

 

自分が悪いと分かっていて、相手の怒りを

察知した時、先手を打って怒り出す人も居る。

いわゆる逆切れ。ばつの悪さや恥を怒りとして

発散することで、相手の怒りを相殺あるいは

強引に捻じ伏せようというわけです。

 

だけど、それで何が解決するの?

何も解決しないし、周りだって迷惑です。

確実に人は離れるし、信用も失います。

 

 

私はよく、周囲の人から

「kuraさんて、今まで怒ったことあるの?」

「一体何があったらkuraさんは怒るのか?」

と言われるぐらい怒れない人なんですが

勿論、これは生まれつきではありません。

 

自分なりのアンガーマネジメントと言うのがあり

気持ちがザワついたりイラっとしたら、

完全に怒りに変わる前に必ずこれを行います。

 

第1段階として

「この気持ちは本当に怒りか?」

あるいは何が怒りにつながったのか?

悲しかった?悔しかった?恥ずかしかった?

とにかく原因を探って分析をします。

何が嫌だと感じたのか、それは何故か。

 

第2段階として

「この状況で怒るのは適切か?」

周りの状況、相手の事情なども考慮して

怒り以外の表現法で適切な伝え方がないか

極限まで突き詰めて考えます。

この気持ちに無駄なプライドや我が儘は

含まれていないか?

自分に一切の非が無いと言い切れるか?

 

怒るまでに時間差を作ることで冷静になれるし

伝え方もより適切になると思うからです。

 

私にとって怒るという表現法は

極限状態おける究極の選択です。

 

何故なら、高確率で相手を傷つけるからです。

私の中では怒り=攻撃と変換されています。

 

この状況なら、やむを得ない。

何なら、相手を殺すことになろうとも仕方がない

ぐらいの決断を自身で下せない限り、怒れない。

 

取り合えず怒るのは、癇癪を起こした子供と一緒です。

「どうしたの?何が気に入らないの?」幼児なら

お母さんが優しく諭して宥めてくれるかもしれない。

そうか、これが嫌だったんだねと原因を探り出し、

その気持ちに共感して寄り添ってくれるかもしれない。

 

でも、ある程度の歳になったら自分でやるしかない。

自分の気持ちは自分で整理して、込み上げるものは

自分の理性でコントロールするしかない。

自分の中だけで上手く処理するのか、それが無理なら

どう解決するのが良いのか。

 

もう全部、自分でやるしかないから。

だからやっているだけです。

 

しかし、これを放棄している人が多すぎる。

悲しいことです。