なぜ辛い道ばかり選ぶのか
ずっと思ってたけど目を背けていた
ことがあります。
何で私はいつも
自分にとって辛く厳しい決断をしたり
険しい道ばかり選んでしまうのか。
もう癖なんだろうと半ば諦めて、
何でかってことを考えないように
してきたんですけども…。
仕事もしないで家で休んでいると
時間だけはあるので色々考えちゃう。
何であの時、もっと楽な道を選ばなかった?
何であの時、自分が好きな方を選ばなかった?
何であの時、楽しそうな方を選ばなかった?
何であの時、自分を守らなかった?
選べなかったんじゃない、選ばなかった。
私は敢えて、自分にとって苦しい方ばかり
選んできたように思います。
自身の無さを通り越えて自分を罰したい程
憎んでしまっていたのか。
自己犠牲こそが美しいとでも思っていたのか。
どれも当て嵌まる様な、何か違う様な…。
ずっとモヤモヤして引っ掛かっていました。
そんな中、無心で家中を磨き上げている時に
ふと…こんな考えが浮かんできました。
自分の好まない方が、
正解だと思ったから。
怠けたりサボったり手を抜くのは良くないから。
そんな人間にはなりたくないと思ったから。
だけど自分の中には、確かにそういう部分もある。
抑え込みたい。いや、できれば消し去りたい。
何事も一生懸命に頑張り成長し続ける自分で居たい。
そして、その姿を見た誰かに褒めて貰えたら嬉しい。
だから、敢えて大変そうな方を選ぼう。
そんな思考が、ガンコな油汚れの様に
頭にこびり付いて取れなかったんです。
そうやって子供の頃から大変な方ばかり
選んで、執念の様な粘りで頑張ってきた。
母親にあんた執念の子だねと言われる程に。
諦めるの悔しいから出来るまでやってやる!
みたいな子でした。
執念だけではどうにもならなくなり
壊れ、一度壊れたら回復に時間が掛かり
回復しても壊れやすくなり、壊れることを
恐れてビクビクする人生になった。
それなのに何かを選ぶ時は常に辛い方を選ぶ。
自分の中の怠け心にコッソリ先に選ばせて、
敢えてこっちが良いな、の反対を選ぶ。
若しくは、どっちでも良いよ~と言って
他人に運命を委ねてしまう。
それこそ執念の様に、自分を戒め続けてきた。
ハズレくじばかりを選んで引いてきた。
ハズレた先に何かがあると言い聞かせ、
そこで何かが得られれば大当たりだと
期待して。
またある時は、当たりもハズレもなく
これは1つの選択であり、
自分がより成長できそうな方を選んだだけ
だと胸を張ってみせたりもした。
だけど…しんどかったんだよなぁ。
本当はずっと、適当に抜ける所は抜いて
要領よく立ち回る人が羨ましかった。
自分には出来ない選択が出来る人たちが。
躊躇なく自分を守れる人たちが。
ほんと、クソ不器用です。
当たって砕けろ根性論にこれでもかと
罵声を浴びせていましたが、本当は
自分が一番そいつに憑かれていたのかも。
苦労=頑張ってて偉い
なんて今時、通用しませんよねww
苦労したって結果が伴わないと意味ないし
そもそも、その苦労ってする必要あった?
とか今なら言われちゃいますよね。
結果が出る=頑張った
というのすら、まだ良い方ですからね。
結果はどうあれ、頑張ったんだね。
なんて…まずあり得ませんからね。
結果が出る=当然、はい次
結果が出ない=お前は無能
という考えが多い世知辛い世の中です。
それとも、私がそう思われるのを恐れて
自分の考えを投影してしまっているのか…。
思考歪みまくってんのかなぁ(;´・ω・)
直したいなぁ、色々と。