自分軸で生きる
うつ病絶賛再発中のkuraです。
ある人が言った。
「うつ病は嵐の様に過ぎるのではなく、
一生付き合っていくもの。
酒・煙草・女と同じで嵌り過ぎれば命に係わる。
自分にとって丁度いい距離感を見つけることだ。
うつは酒や煙草より嵌り易く、嵌ると厄介だ。
今後どうやって生きていくかというよりも、
飯を食えなくなった時誰にどう力を借りるのかを
決めておく方がずっと重要だ」
ある人が言った。
「うつ病を乗り越えて社会復帰するとは、
出来ないという壁を乗り越えるのではなく
出来ることと出来ないことを探求して、それを
生かす方法を確立することだ」
ある人が言った。
「頑張った方が良い時と
そんなに頑張らなくて良い時の分別をつけ、
人からの評価より自分が自分を好きでいられるか
という基準で考えられるようになること。
向き不向きを認め、不向きなことを深追いせず
無理に克服しようとせず、時には潔く諦めて
自分に出来る範囲のことを焦らずマイペースに」
ある人が言った。
「うつ病を通して自分が心地良いと思える生き方を
勉強できれば良い」
ある人が言った。
「うつ病になって、足し算の人生から引き算になった。
彫刻を削る様に、要らない物や嫌いな物を削り落として
好きな物だけ残し、それを際立たせる人生が良い」
私もそんな風に思えるようになりたい。
誰かにそんな言葉を与えられる人になりたい。
それにはもう少し時間がかかりそうです(;´・ω・)
うつ病になって、改めて自分にとって何が幸せか
考えることができました。何が好きで何が嫌いか。
どんな風に生きていたいか。
名誉・地位・金は相対的な幸福で、他人と比較して
確かめる不確かなものだと言う人が居ました。
それはドーパミン的な一時的な幸福で、その一時が
終われば、あって当然の物になり幸福を感じられなく
なる。それどころか虚しささえ感じることだってある。
そしてそれを失うことが物凄くストレスになる。
そんな物に縋るより健康などのセロトニン的幸福や
愛情などのオキシトシン的幸福の方が実は重要で、
それは自分軸で考えられる絶対的幸福感となる。
確かに、誰かと比較して自分の価値を確かめ続ける
人生より、自分は絵を描くのが好きだとか、読書が
好きだから本に囲まれて暮らしたいとか、猫好きで
猫に囲まれて暮らしたいとか、そういう方に気持ちを
シフトして生きたら平穏に幸せになれる気がしますね。
もう以前の様にガツガツ働くことはできないしな。
早朝から深夜まで働いていた自分が信じられない。
もう無理だなぁ…と思う。
今はとにかく健康で普通の生活が出来ればいいや。
出来ないことは出来るようになるまで頑張れって
子供の頃から教育されてきたけれど、それだって
必ずしも正しいとは限らないんだ。
克服しなくても良い方法だってあるはずなんだ。
好き嫌いが無いのは良いことかもしれないけど
嫌いな物を必ずしも食べられるようになる必要はない。
嫌いな物をはっきり嫌いと伝えられることや、
やり方は1つじゃないって知ってることの方が
重要な時だってある。
嫌いな物を無理やり我慢して食べる時間を、
大好きな物を食べる幸せな時間に使いたい。
誰も完璧ではないし、誰にでも限界はある。
不得意な物に囚われるより得意を伸ばそう。
嫌いな物を好きになる努力をするよりも、
好きな物をもっと満喫しよう。
出来ない自分の完璧じゃないところを
吊るし上げるばかりの生き方は止めて
自分軸で、ゆるく生きよう。