鬱を食らわば

元うつ病不登校児、アラサーでうつ病再発しました。

自分軸で生きる

うつ病絶賛再発中のkuraです。

 

ある人が言った。

うつ病は嵐の様に過ぎるのではなく、

一生付き合っていくもの。

酒・煙草・女と同じで嵌り過ぎれば命に係わる。

自分にとって丁度いい距離感を見つけることだ。

うつは酒や煙草より嵌り易く、嵌ると厄介だ。

今後どうやって生きていくかというよりも、

飯を食えなくなった時誰にどう力を借りるのかを

決めておく方がずっと重要だ」

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ある人が言った。

うつ病を乗り越えて社会復帰するとは、

出来ないという壁を乗り越えるのではなく

出来ることと出来ないことを探求して、それを

生かす方法を確立することだ」

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ある人が言った。

「頑張った方が良い時と

そんなに頑張らなくて良い時の分別をつけ、

人からの評価より自分が自分を好きでいられるか

という基準で考えられるようになること。

向き不向きを認め、不向きなことを深追いせず

無理に克服しようとせず、時には潔く諦めて

自分に出来る範囲のことを焦らずマイペースに」

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ある人が言った。

うつ病を通して自分が心地良いと思える生き方を

勉強できれば良い」

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ある人が言った。

うつ病になって、足し算の人生から引き算になった。

彫刻を削る様に、要らない物や嫌いな物を削り落として

好きな物だけ残し、それを際立たせる人生が良い」

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私もそんな風に思えるようになりたい。

誰かにそんな言葉を与えられる人になりたい。

それにはもう少し時間がかかりそうです(;´・ω・)

 

うつ病になって、改めて自分にとって何が幸せか

考えることができました。何が好きで何が嫌いか。

どんな風に生きていたいか。

 

名誉・地位・金は相対的な幸福で、他人と比較して

確かめる不確かなものだと言う人が居ました。

それはドーパミン的な一時的な幸福で、その一時が

終われば、あって当然の物になり幸福を感じられなく

なる。それどころか虚しささえ感じることだってある。

そしてそれを失うことが物凄くストレスになる。

 

そんな物に縋るより健康などのセロトニン的幸福や

愛情などのオキシトシン的幸福の方が実は重要で、

それは自分軸で考えられる絶対的幸福感となる。

 

確かに、誰かと比較して自分の価値を確かめ続ける

人生より、自分は絵を描くのが好きだとか、読書が

好きだから本に囲まれて暮らしたいとか、猫好きで

猫に囲まれて暮らしたいとか、そういう方に気持ちを

シフトして生きたら平穏に幸せになれる気がしますね。

 

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もう以前の様にガツガツ働くことはできないしな。

早朝から深夜まで働いていた自分が信じられない。

もう無理だなぁ…と思う。

 

今はとにかく健康で普通の生活が出来ればいいや。

出来ないことは出来るようになるまで頑張れって

子供の頃から教育されてきたけれど、それだって

必ずしも正しいとは限らないんだ。

 

克服しなくても良い方法だってあるはずなんだ。

好き嫌いが無いのは良いことかもしれないけど

嫌いな物を必ずしも食べられるようになる必要はない。

 

嫌いな物をはっきり嫌いと伝えられることや、

やり方は1つじゃないって知ってることの方が

重要な時だってある。

 

嫌いな物を無理やり我慢して食べる時間を、

大好きな物を食べる幸せな時間に使いたい。

 

誰も完璧ではないし、誰にでも限界はある。

不得意な物に囚われるより得意を伸ばそう。

嫌いな物を好きになる努力をするよりも、

好きな物をもっと満喫しよう。

 

出来ない自分の完璧じゃないところを

吊るし上げるばかりの生き方は止めて

自分軸で、ゆるく生きよう。