鬱を食らわば

元うつ病不登校児、アラサーでうつ病再発しました。

他人事精神とトラウマ

どうも、うつ病絶賛再発中のkuraです。

 

引き続き腱鞘炎爆延中。更新遅れてます。

 

精神科通いも半年を過ぎ、色々としんどい。

落ち着いてきた分、新しく落ち込むことも。

考え事が出来るようになった分、絶望する

材料も増えてしまったのです。

 

担当医との面談は長くはないけれど、

何を話すか事前に決めていくので

短いながらも、なかなか濃厚な内容です。

 

いつ頃から働けるかは、まだ何とも言えない

と言われて、ここ数日軽く落ち込んでいました。

時間はかかるだろうね…。と言われました。

 

周囲からは、この先のこと考えてる?とか

この後はどうするの?なんて無神経に尋ねられ

その質問何のためにしてんの?と苛立ちが倍増。

 

何の支援もできないし、する気もない奴が

外野からワーワー言ってくるの本当にしんどい。

心配するなら金をくれ家なき子風)←伝わらんか

 

対する私は人のことは割とどうでもいい。

興味を持てないんですよ、他人に。

自分のことさえ興味ない時があります。

うつ病になると色々なことに関して

興味や関心が無くなり、何かを知ろうとする

気力や体力も失ってしまう。

 

「自分のことなのに、他人事みたいだね」

10代の頃、誰かに言われたセリフです。

自分のことぐらい、もう少し必死になったら?

というような話の流れで言われました。

無表情で無気力、何を考えているか分からない。

うつ病患者の典型ですね。

 

今思うと、そうやって自分を守っていたのでしょう。

子供の頃から、あまり良い環境ではなかった。

 

学校でのいじめ、両親の不仲、父親の暴力、

母親の不倫と度々おこる泣き喚きながら家中を

荒らしまくり無言で居なくなるという奇行。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

誰に何を謝っているのかも分からないまま、

頭の中をグルグル巡る言葉たち。

ごめんなさい、もう許して。もうやめて。

荒れた部屋の片づけをしながら、一人で

シクシク泣くことしかできませんでした。

 

目の前の現実が辛すぎるから、心のどこかで

これは私のことじゃないと現実逃避をして

他人事のように考えていた。

ドラマのワンシーンを見ているような感じで。

どんな残酷なシーンも、作り物の世界だと

思ってしまえば何ともない様に思えたからです。

 

そうやって意識をどこか遠くに逃がして、

自分を保とうとしていたのです。

ここは私の世界じゃない。私は辛くない。

自分に言い聞かせました、時には脅すように。

辛くない、辛くない、辛くない、辛くない…

 

現実から逃げるように読書に耽り、

絵を描いて、音楽を聴いて、ピアノや

ギターを弾き、か細い声で歌いました。

カメラを買って写真も撮りました。

そうやって自分だけの世界を作って

取り囲んで隠れようとしました。

 

引きずり出されると心だけ抜け出して

悲惨な展開を迎えるドラマを見るように

可哀相だけど他人事だから、という

どこか冷めた気持ちで自分を見ていたのです。

可哀相なのは今だけ。ドラマが終わって

テレビを消したら、すぐに忘れてしまう。

そうだ、忘れてしまおう。

 

幼稚園の先生に真っ暗な

ボイラー室に閉じ込められた時も

食べるのが遅いという理由で

お化けのお面であの世へ連れていくと

毎日のように脅されていた時も

噛む間も与えず指で喉の奥に

食べ物を押し込まれて吐いた時も

 

理由もなくお父さんに叩かれた時も

訳も分からずお母さんに怒鳴られた時も

真冬に薄いパジャマで家の外に出されて

玄関を施錠され、ガタガタ震えていた時も

幼稚園に行きたくないと零したら

我が儘で怠け者な子供は要らないと

遠くの山道で車から引き摺り降ろされ

置いて行かれた時も

 

友達だったはずの子たちに

休み時間の度に取り囲まれ、罵られた時も

公園に呼び出されて首を絞められた時も

クラスの女王に突然キスをされた時も

クラスの男子に体を触られて抵抗すると

汚い言葉で罵倒された時も

親に学校に行きたくないと零したら

怠け者だと言われて家中引き摺り回され

壁に押し付けられ、首を絞められて

優しく言ってるうちに言うこと聞けよ

と父に詰め寄られた時も

 

色んな噂を流され、休み時間の度に

顔も知らない他のクラスの子たちが

噂の子はどこ?と押しかけてきた時も

そのくせ話しかけることはせず、

コソコソ、クスクス笑っていた時も

通学中に知らないお兄さんに突然

スカートを捲られた時も

 

始めて就職した飲食店で、学歴がない

という理由で差別された時も

そんな奴には何をしても許されるとばかりに

モラハラ、セクハラ発言を繰り返された時も、

その中の一部の人に一方的に好意を告げられ

丁重に断ると怒りだしてその後しばらく

ストーカーされていた時も

 

お前は動物以下だと言われた時も

表情無くて能面みたいと言われた時も

同期の子に根も葉もない噂を流された時も

お局さんに無視された時も

お前が歩いた後は床が汚れると言われて

掃除を命じられ、自分が歩いた経路を

周囲に頭を下げながら跪き、雑巾で

床を拭いていた時も

 

他人事だと思ってさえいれば、

生きていられた。

他にどうすればよかったのだろう。

他にも辛いことは沢山あったけれど、

作り物だと思えば耐えられる気がした。

楽しめそうな気さえしていた。

だってこれは、私のことじゃないから。

 

そこまでして生きることに

何の意味があったのかは分からない。

日記だか遺書だか呪いだかポエムだか

よく分からない言葉をノートに書き殴り、 

最後は自分の腕や手首を切り刻み、

刃物を取り上げられると爪で毟ったり

噛んだりしてまで血を流しました。

 

でも、私は生きることを選んだのです。

そうまでして、生きようとしたのです。

 

自分が不当な扱いを受けていると

思ったことは、実は殆どありません。

そんなことを言うのは、

本当は自分はもっと価値がある存在だ

と言っているのと同じだからです。

そんなことを言うほど恥知らずではないと

ずっと自分を戒めてきました。

自尊心など欠片も残っていなかったので。

 

こんな自分が存在していること自体がであり

誰かと関わることで、自分の中の何かが

相手の何かを損なってしまうのではないか、

傷つけてしまうのではないか、と怯え続け

深い人間関係を無意識に拒んでいました。

 

酷い扱いを受けるのが相応であり、

他者の望みを叶え、奉仕し続けることでしか

存在価値が無いと思っていたのでしょう。

 

それが他者の悪意や攻撃欲を煽るとも知らず。

 

ここまで拗らせてしまった思考の歪みを

矯正するのは時間がかかるでしょう。

担当医が遠い目をするのも頷ける。

 

だけど、世間が許してくれるだろうか?

こんなことに時間をかけてしまう私を。

どこまでも「普通」になれない私を。

 

私が悔しいとか、もどかしいってだけじゃない。

世間が、社会が、許してくれないんじゃないか。

もう誰にも、どこにも受け入れてもらえないかも。

 

そんなことを思って沈んでしまう。

他人なんてどうでもいいとか言いながら、

他人の目を気にせずにはいられない、

矛盾だらけの私なのです。

 

要するに、ただのネガティブ。

どこまでも重くて痛い女です。自分でも嫌になる。

またうつの波来ちゃったかなぁ。落ちたくないなぁ。